生きるとは、こんなものか

私たちは、生きることに過剰な期待を持ち過ぎているのかもしれません。生きるとは、気持ちが良くて、楽しいことの連続で、常に満たされていて、体調も万全で…このように勘違いしているのではないでしょうか。というより、本来はそうだと思っている気がします。

しかし、現実はどうでしょうか。現実というより、これも私たちの心で作り出す真実とは異なるものではあるのですが、現実に見える景色ではあります。先程の生きる認識と比較すると、まさに真逆だと思います。毎日楽しいことなんて特にないし、やることが無いと孤独になる、かといってやりたいこともない、生きる目標もない、ただ若さを消費していく日々。ゲームに夢中になって終わる休日、これでいいのかと葛藤する休日。自分の人生って何だったのか深く考える休日…。様々な漠然とした不安や孤独、満たされない感情、人生の見えない出口、得体のしれない死、悩み、落ち込み、自己嫌悪。でも、たまにやってくる至福、満足感、充実感、安心。しかし、人間は、こういった負の感情に呑み込まれやすいと思います。

こういったことを踏まえると、やはり、私たちの人生には何も意味はないのだという気がしてなりません。空を飛ぶ鳥に、「なぜ生きているのか?」と聞いても、「生命があるから」というだけです。でもこれは、悲観することでも何でもないです。

昨今は、生きる意味を探すことが流行っています。自己実現とよく言いますが、こういった夢が見つかる人・見つからない人様々だと思います。「変なことをしろ」、「夢を見つけろ」、「何者かにならなければならない」という人もいれば、「夢は無くていい」「嫌な現実から逃げて良い」「頑張らなくていい」という人もいます。結局は何が正しいなんてものは無いのです。

人生の目的が見つかれば、生きがいや幸福度は上がり、人生のすべての行動が一つの意図によってできていて、より充実したものになるそうです。だからといって、そういった生き方をしなくてもいいのです。だって、人生に意味はないんだから。

そういうことで、生きるというのは、気持ちの良いものではないと気づきました。常に至福に気づくマインドを持っていれば別ですが、そういった特別ではない限り、人間には苦しい時期がやってくるのです。でも、それは怖いことではなくて、それこそが生きているという証なのだと思います。他人が羨ましく見えるのも、綺麗に生きているように見えるからです。でも、どんな生命も常に安心して生きているものはないです。自傷行為をする人は、痛みを感じて生きていると実感するそうです。そんなことをしなくても、もう既に私たちは生きる感覚を知っています。極稀に起きる心からの至福ではない心、99%を占める心の状態なのです。あの嫌な感じです。それが生きるということです。

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