be:~であるということ
人生において、家族・友人・恋人などの身近な人との間に心が求める関係性=be(と表現する)となるような行動や選択をしていけばよい。
人は、「やられたらやり返したい」と思ってしまう節がある。相手に愛情があるほど、その傾向が強くなるのではないのか。憎しみや恨みは愛情の裏返しだからだ。仲の程度にもよるが、友人よりも家族や恋人の方がそうなりやすいとか。
自分が嫌な思い(悲しい、寂しい、苦しい…)をしたとき、そうさせた(ように見える)人にも同じ思いをして欲しい→させてやりたいと勝手に思考が湧き上がるのだ。隣の芝生は青く見えることによって、「あいつも苦しい思いをすればいいのに」という気持ちにも近いものがある。ただ、後者は対象が友達またはあまり関係が浅い知り合いなど、心の距離が遠い場合もある。今回は、前者についての話。
このとき、本当に相手への復讐を望んでいるのだろうか?
きっと意識が相手に向いていることで見えなくなっているが、実は相手に自分の気持ちを分かって欲しかった、認めて欲しかったという気持ちがあるように思う。ちょうど表と裏のように。
つまり、その相手とより良好な関係を築くことを望んでいるということだ。
本当に取り留めもないこと(同じ仕返しをしたとしても問題にならないこと)であれば、やり返すこともあるだろう。例えば、恋人が付き合った当初はメールをたくさんくれたのに、数カ月経つと二日に一回くらいに下がった。非常に寂しいことではあるが、それを素直に表現すると、何故か負けたような気持になる。だから、自分も二日に一回もしくはもっと頻度を下げるようにした。これも、頻度を下げる=相手に注目して欲しいという意図が潜在的にあるのだが。
この例のような行動を選択していくとどうなるのか。
その恋人のメール頻度は現状維持またはもっと下がるかもしれない。そうしているうちに、お互いの熱が冷めていく。そうなったらもう終わりだ。
ここで思い出そう、これは心から望んでいた関係だったのか?
—NOである。
このように、本心を見抜けない状態で行動すると、真逆の結果がついてくる。
beになりたければ、相手の状況や気持ちも踏まえた上で、自分の気持ちを素直に伝え、できれば今後どうして欲しいところまで伝えるべきだったのだ。
ただ、相手も知能を持つ人間であり、必ずしも望む結果になるとは限らないが。
それでも、自分に素直になって行動していくことに意味があるように思う。その一つがこういった状況なのだろう。